能登地震の記録【前編】

雑記

もきゅです。ちょっと迷いましたが、2024年1月1日に発生した能登地震について記録しておこうと思います。

毎年年末年始は能登にある夫の実家に帰省しています。なので自分自身も能登地震を経験しました。

※思ったより長くなってしまったので前編と後編に分けました。

一度目の地震

当日のちょうどその時間、もきゅは義母と二人で夫の実家でのんびりしていました。夫と長女は、夫兄家族と一緒に初詣に出かけていました。まだ次女を妊娠中だったもきゅは、お留守番です。リビングのソファーに座り、テレビを眺めながらスマホをいじる——そんなダラリとした時間を過ごしていました。すると、急にスマホがけたたましく鳴りました。緊急地震速報です。

咄嗟のことで、すぐには動けませんでした。そうしている間に、強い横揺れがきました。ソファーの上で一応お腹をかばうような姿勢を取りましたが、うまく取れていたかは分かりません。でも、立ち上がって動くのは危険な気がしたので、その場でじっとしていました。とりあえず揺れは収まりましたが、心臓はバクバク。喉から心臓が飛び出しそうなほどでした。

洗い物をしていた義母もリビングに来ていました。もきゅがいた場所の上にはちょうど神棚があり、「落ちるといけないから、吹き抜けの方に来た方がいい」と連れに来てくれました。膝はガクガクしていましたが、なんとか吹き抜け側のソファーまで移動しました。いつの間にか、テレビもお正月の特番から地震情報に切り替わっていました。

娘のことが心配になり、夫に連絡しました。夫は義父と一緒にいたようですが、娘は夫兄夫婦と従兄弟たちと一緒におり、様子はわかりませんでした。義母が夫兄夫婦と連絡を取ってくれていましたが、人の多い場所で、初めての大きな地震に遭った娘のことを思うと、不安でたまりませんでした。

少し気持ちが落ち着いたかな、というところで実家の母から電話が入りました。もきゅが能登にいることを知っているので、安否確認の電話でした。実家は距離が離れていますが、それでもものすごく揺れたそうです。

「娘は初詣に行っていて、今家にはいないこと」
「とりあえず家は大丈夫なこと」

そう伝えていると、もう一度大きな速報が流れました。2度目の地震です。

二度目の地震

電話の最中に、二度目の大きな揺れ。ちょっとしたパニックです。そうこうしているうちに、実家の方でも大きな揺れが来たようでした。話す余裕がなくなってしまい、電話は途中で切りました。義母が近くに来て、頭とお腹を守ってくれました。

「これ以上揺れたら、家が崩れてしまうかもしれない…!」

どのくらい揺れていたのか分かりません。ものすごく長く揺れていたように感じました。

揺れている間、義母と二人でお互いにしがみつき、揺れが収まるのを待ちました。揺れが収まってからも、まだ揺れているような感覚が続きました。

テレビでは津波警報が出ており、「すぐ逃げてください!!」とアナウンスされています。娘が初詣に行っていた神社は海のそばです。

生きた心地がしませんでした。

大きな神社なので、人でごった返しているでしょう。昨年は自分も一緒に行っていたので、その混雑ぶりが容易に想像できました。

今すぐにでも声が聞きたい。顔を見たい。娘に会いたい。

でも、どうすることもできませんでした。きっとみんな避難で手一杯でしょう。下手に連絡を取ると、かえって邪魔になってしまうかもしれない……。

でも、もしかしてもう二度と会えなくなってしまうかもしれない——。

最悪の不安が頭をよぎりました。

「お腹の中で頑張って大きくなっている赤ちゃんもいる。あまりストレスを与えないようにしないと。」

そう思いながらも、長女に対して何もできない自分が不甲斐なく、テレビの画面を見ながら自然と涙がこぼれました。

不安と、続く余震への恐怖を抱えながら、ただ皆が無事に帰ってくることを願いました。

先に夫と義父が帰宅。二人は先に神社を出ており、運転途中で地震に遭ったそうです。車が運転できないほど揺れ、路肩に停めたものの、身の危険を感じたと話していました。

二人が無事に帰ってきて、少し安堵しました。

でも、まだ夫兄家族と娘は帰宅していません。

無事に帰ってきてほしい。それだけを祈っていました。

無事の帰宅、そして新たな問題

不安な気持ちを抱えたまま帰宅を待っていると、夫兄家族と一緒に娘が無事に帰宅しました。

家に入るなり、帰ってきた従兄弟たちは泣いていました。きっと、無事に帰れたことに安堵したのでしょう。娘ももきゅのもとに駆け寄り、抱きついてきました。

「おかえり!」

たくさん抱きしめて、頭を撫でました。無事に帰ってきてくれてよかった。それしか頭にはありませんでした。

泣きそうでしたが、あまり状況が分かっていない娘を不安にさせてはいけないと思い、ぐっと堪えます。

世界で一番大切なものを失うかもしれなかった恐怖から、少しだけ解放された瞬間でした。

状況の把握

全員が無事に帰宅した後は、状況を整理しました。

  • 自宅に帰る予定だったが、道路状況が分からないため、そのままもう一泊。
  • 夫の実家の家屋は、見た限り損傷なし。
  • 義母の車は、庭の灯籠が落下して損傷。
  • 食料や水は十分にある。
  • 電気も問題なし。

その間にも、何度か地震速報が流れ、大きめの余震が続きました。

スマホの緊急速報の音が、子どもたちのトラウマになっているようで、鳴るたびに泣き出してしまいます。リビングで子どもたちと一塊になり、余震が収まるのを待ちました。大人でも心臓がバクバクする状況です。

新たな問題、断水

テレビで地震の情報を確認しながら、食欲はないものの夕食を取りました。ちゃんと食べておかないと、何かあったときに身体がもたないと思ったからです。

「とりあえず、家にいる分には問題なさそうかな……」

そう思った矢先、新たな問題が発生しました。

断水です。

「トイレ流れない~」と子どもたちが言いました。

「え?さっきまで台所の水、出てたよね?」

そう思いながら蛇口をひねると、確かに水が出ません。困りました。

夫の実家だけではなく、付近一帯が断水していることが判明しました。車でしばらく行った場所の学校が避難所として開設されており、そこのトイレは使えるらしいとのこと。

「ある程度時間が経ったら、みんなで乗り合わせてトイレに行こう」

とりあえず水をなるべく飲まないようにして、トイレに行く回数を減らすことにしました。

でも、妊娠中のもきゅにとっては、これはかなり辛い状況でした。

妊娠中で水分を減らすと脚が攣りやすくなっていました。ただでさえ膀胱が圧迫されてトイレが近いのに、自由に行けない状況は本当に苦しかったです。

後編に続きます。