能登地震の記録【後編】

雑記

思ったより長くなってしまった地震の記録【後編】です。

1月1日夜

地震発生時の夜は「また大きな余震があるかもしれない」という不安から、その夜はパジャマに着替えずに過ごしました。いざという時にすぐに逃げられるようにするためです。

テレビでは輪島の火災の状況が映し出され、真っ暗な夜空の中で炎が煌々と燃え広がっていました。どうすることもできず、ただ見守ることしかできない。これ以上被害が拡大しないよう祈るしかありませんでした。

「休める時に休んでおかないと」と思い、布団に横になりましたが、不安でなかなか眠れません。寝ている間にも何度か地震がありました。速報が鳴るよりも先に、地面から地響きが聞こえてくる――それで地震の到来が分かる。こんな経験は初めてでした。

うとうとしては地鳴りで目が覚める。そんなことを何度も繰り返していました。

幸いなことに、子どもたちは疲れ果ててしまったのか、ぐっすり眠っているようでした。それが唯一の救いでした。

1月2日朝

数回の余震があり、ほとんど熟睡できないまま朝を迎えました。疲れてはいましたが、夜中に避難しなければならないほどの大きな揺れはなく、無事に朝を迎えられたことに少しほっとしました。

朝になっても家の水はまだ出ません。そのため、再び避難所のトイレを借りに行きました。

前夜よりも避難所の体育館にいる人が増えていました。体育館の中は寒いためか、駐車場の車の中で寝泊まりしている人も多く見かけました。

避難所は人の出入りが増え、全体が少しずつ慌ただしくなってきたように感じました。その様子を見ていると、「この先どうなってしまうんだろう…」という不安がますます募りました。

トイレを済ませた後、夫の実家に戻りました。

帰宅後は、家にあるもので食事をしました。水は出ないままでしたが、電気は問題なく使えたため、温かい食事を取ることができました。断水がいつ解消されるか分からなかったので、なるべく洗い物を出さないように、おにぎりなどで済ませます。

その後は、テレビで被害状況を確認したり、親戚の安否を確認したりしました。また、夫の実家が能登方面であることを知っている友人たちから、自分にも安否を気遣う連絡が数件届いていたため、「無事です」と返信しました。北陸から離れた地域でも、大きな揺れを感じていたようです。

明るい時間帯に、夫が一度自宅の様子を見に行くことになりました。自宅の被害状況の確認と、車で実際に帰宅できるかどうかを確かめるためです。

いつも使っている主要道路の一部が通行止めになっている区間もあり、そもそも帰宅できるのかどうかも分かりませんでした。しかし、自宅周辺のほうが比較的被害が少ないと予想されていたこと、そして断水がいつ解消されるか分からないこともあり、「帰れるなら帰りたい」という私の希望もありました。

避難所で過ごしている方々のことを思えば、とても贅沢な願いなのかもしれません。でも、自由にトイレに行けない、シャワーやお風呂が使えない、洗濯ができない(持ってきた着替えはもともと一泊分のみ。子どもの着替えは余分に持ってきていましたが…)という状況は、想像以上に辛いものでした。

そして何よりも、自宅の被害がどれほどのものなのか、確認するまで不安でいっぱいでした。

自宅の状況確認

夫が出発してから約2時間半後、自宅に到着したと連絡がありました。

通常なら車で1時間ちょっとで着く距離ですが、いつも利用している主要道路が通行止めになっていたため、別ルートで向かったとのことです。その道中では、ところどころで道路の陥没やひび割れが見られました。

道路の状態が悪いために渋滞している箇所もあり、通常よりも時間がかかってしまいましたが、それでも無事に自宅までの道がつながっていたことに安堵しました。

自宅の被害状況がどれほどか心配していましたが、幸いなことに家自体に損傷はなく、引き出しが少し飛び出していたり、写真立てが倒れていたりする程度で、壊れているものはなかったそうです。ざっと確認したところ、水も電気も問題なく使えるとのこと。本当に良かったです。

帰宅ルートの確保と、自宅の被害がないことが確認できたため、荷物をまとめて帰宅の準備を始めました。

日常から非日常へ

自宅の状況を確認した夫の帰宅を待っている間にも、能登地域のさまざまな被害状況が明らかになってきました。

  • 国道や県道の一部が通行止めになっている。
  • 道路が隆起し、ボコボコになってしまっている箇所がある。
  • ガソリンスタンドでは給油制限が発生し、行列ができている。
  • 断水の影響で、近くのスーパーから飲料水が消えている。

幸いなことに、今のところケガをしたり、安否不明になっている知人や親戚はいませんでした。その点は不幸中の幸いです。

しかし、被害は確実にありました。

お店を経営している親戚の店舗では、店内に陳列していた商品のほとんどが落下し、店内はぐちゃぐちゃに。さらに、建物自体にも歪みが発生してしまったそうです。

また、別の親戚の家では食器棚などが倒れ、断水も続いていることから避難所に避難しているとのことでした。

いつもの平和なお正月からは考えられないような状況になっていました。 

帰宅の道のりと日常のありがたさ

夫が帰宅し、少し休憩を取った後、夕方に夫の実家を出発しました。

実際に車を走らせると、崩れてしまった家屋や斜めに傾いた電信柱が目に飛び込んできます。隆起した道路もあり、どの車も通常よりゆっくりとした速度で慎重に走行していました。

日が落ち、辺りがだんだん暗くなっていきます。昨日よりは余震の回数が減ったものの、まだ時折揺れを感じることがあり、この状態でまた大きな地震が来たらどうしよう…という不安が頭をよぎりました。

能登方面から離れるにつれ、道路や家屋の被害状況は次第に小さくなり、思ったよりもスムーズに進むことができました。それでも通常より時間はかかり、緊張感のある帰路となりました。

そしてついに、自宅に到着。部屋の明かりをつけた瞬間、なんとも言えない安堵感に包まれました。二日前に出発した時と、何一つ変わらない我が家の光景がそこにあったからです。

帰宅後、すぐにお湯を沸かし、お風呂に入りました。温かい湯に浸かった瞬間、それまで強張っていた身体がようやくほぐれていくのを感じました。

部屋の中で温かいものを食べ、お風呂に入り、好きな時にトイレが使える——。

そんな当たり前の日常が、どれほど幸せなことなのか。今回の出来事を通して、改めて実感しました。

復興はまだ半ば

この投稿を書いている今、地震発生から一年以上が経ちました。

それでも、あの日感じた恐怖は今でも鮮明に残っています。こうして文章にすることで当時の記憶が次々と蘇ってくるのは、それほどまでに強烈な体験だったからなのでしょう。

しかし、時間が経ったとはいえ、十分な復興にはまだまだ遠いのが現実です。それどころか、昨年は大雨の被害にも見舞われました。やっと少しずつ前に進み始めたところに、なぜこんなことが重なるのか…。ただただ、やるせない気持ちでいっぱいになりました。

被害の大きかった奥能登方面には行けていませんが、それ以外の地域でも、いまだに隆起した道路や倒壊した家屋がそのままになっている場所が多くあります。液状化現象の影響で、もはや住むことが難しくなった地域もあります。

普通に生活できている私たちですら、「これからどうなっていくんだろう…」と不安な気持ちになります。ましてや、被災された方々の心情は計り知れません。

一日でも早く、復興が進みますように。

そして、どうかもう二度と、大きな地震が来ませんように…。